ゲランドの塩とは?

フランス西海岸、ブルターニュ地方にゲランド塩田はあります。 太陽と風の力、粘土の地層を活かした構造を持つこの塩田で 9世紀以来、機械をほとんど使わない伝統的手法を用い、 塩職人(パリュディエ)の手により『ゲランドの塩』は生産されます。

自然環境を最大限に活かしたこの製法で作られる『ゲランドの塩』は、 古くはブルボン王朝時代から今日に至るまで、 フランス料理の名シェフたちから高い評価を受け続けています。

 

フランス西海岸ブルターニュ地方で古くから繁栄してきたゲランド塩田。
近代に入り、消滅の危機に瀕したこの塩田は、塩職人たちの手により30年の歳月を重ね再生、復興が成し遂げられました。

 

1972年に協同組合の前身の「ゲランド塩生産者集団」を発足。今までの個人販売から共同貯蔵を開始し、仲買人への交渉力を手にしました。同じ時期フ ランスでは1968年の学生運動(所謂「5月革命」)の中で、資本主義を問い直す思想運動が広まり、「自然に帰れ」や「都市から農村へ」といった合言葉も 生まれ、問題意識をもった若者たちが塩職人の運動に加わるようになりました。もともとリゾート開発反対運動への参加でゲランドに出会ったシャルル・ペロー氏を中心とする、この68年世代がその後のゲランド塩田を再生していく活力となるのです。

 

ゲランドの塩田を守っていくには、塩作りを続けること、技術を受け継いでいくことが最も重要だと考えた塩職人達は1979年に「塩職人養成セン ター」を設置。それまで親子で受け継がれてきた塩職人の仕事を広く解放し、他地域からの若者も受け入れてきました。

販売面では、共同の貯蔵倉庫の建設、1987年には「ゲランド塩生産者集団」を「協同組合」として確立、自主販売を行う組合直営の会社「サリーヌ・ド・ ゲランド社」を設立し、それまで仲買人に頼ってきた販売を自分達が主体的に行う仕組みを作りました。それには気候の変動に収穫量が大きく左右されるため、 3年分のストックをキープし計画的に販売するなど、塩職人がその仕事を続けていけるための仕組みも含まれます。

 

一方、開発計画に反対する環境保護運動を契機として、生物学者・生態学者などがこの地の調査研究を進め、塩田の生態系の豊かさが明らかになってきまし た。そして都市からゲランドにやってきた新たな世代はこれらの研究と連帯し、1996年ゲランド塩田を国の自然保護区とすることに成功したのです。

 

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塩田の仕組みの図です。潮の満ち引きを利用し、水を溜め、いくつもの水田を通過させるながら塩分を濃縮していき、最後はオイエと呼ばれる採塩池で、塩を結晶させます。

 

行程一覧

潮の満ち引きを利用し、入江からヴァジエール/コビエ(貯水池)に海水を取り入れます。ここで海水は最初にあたためられて濃縮し始めます。ここから少し低い位置にある塩田の中心部へ水を流していきます。この調節には塩職人の経験と知識が求められるのです。
海水はいくつかのファール(濃縮池)を巡っていくうち、蒸発が促進されます。
最後に濃縮した海水が塩田の中にあるオイエ(採塩池)に達して、結晶を始めます。
水面に最初に結晶する塩をルスと呼ばれる伝統的用具を使ってすくい上げます。
これが希少な「フルール・ド・セル」(塩の花)です。
次に塩田の床に結晶する塩(グロ・セル-粗塩-と呼ばれます)をラスと呼ばれる木製の長細いへらのようなもので、かき集めます。
収穫した塩をオイエの中心部(ラデュール)に集めます。
塩田の横に「ミュロン」と呼ばれる塩の山を作り、収穫した塩を集めます。
塩を倉庫に運び込み、1年以上寝かせ、ゆっくり水分を落とします。
ふるいにかけて、不純物を取り除き、容器に詰めて出荷します。
冬場はオイエやヴァジエール/コビエの整備を行ないます。
 
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